世界で稚内が一番大好きな大学教員、アーサーこと浅川晃広です! 稚内で移住希望者向けのシェアハウス「キックスタート!」を経営しています。
「ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式」(山口周)を読了しました。久々に読んだ骨太の傑作でした。
この本によると、物質の欠乏といった「問題」が少なくなった代わりに、なぜそれをやるのかといった「意味」が過少になっているということです。よって、「意味のないクソ仕事」が蔓延しているがために、世の多くの労働者がその労働に意味を見出すことができず、閉塞感が漂っていると。
まぁこれは私の属している組織に当てはめても本当にその通りで、「組織維持のためだけの無意味な業務」が多すぎるのです。それゆえ、仕事の「意味」を問わず、単に労働時間短縮だけを目指す「働き方改革」が如何に欺瞞的であるかもわかります。(まぁ別に労働者の幸福を願ってやっているわけでもないのでしょうが)
ところで、自分の仕事の「意味付け」という点で、「大忠臣蔵」(主演:三船敏郎、1971年)というドラマを思い出しました。私は別に歴史好きでもないのですが、たまたまこれをテレビで見てはまってしまったというわけです。
忠臣蔵のストーリーを改めて言うまでもないのですが「大忠臣蔵」では単なる吉良に対する仇討ではなく、「武家の掟のはずの喧嘩両成敗をしなかった不当な将軍家への異議申し立て」という位置づけがされている点が面白いのです。彼らの主君、浅野内匠頭は切腹、お家断絶、領地没収となるのですが、相手方の吉良は一切のおとがめなし。
そこで仇討に設定されるのが、本来「喧嘩両成敗が武家の掟のはずなのに、それを踏みにじった将軍家は許さん」という論理です。この点で、単なる仇討の次元を超えてしまっているのです。すなわち、「喧嘩両成敗という武家の掟」は将軍家であろうと誰であろうと、武士であれば鎌倉以来守らなければならない、いわば自然法である。一方、今現在権力を握っている将軍家の裁決は単なる実定法にすぎず、自然法を無視した将軍家は断罪されるべきという論理です。(自然法と実定法の対比は「ニュータイプの時代」でも出てくる重要な論点の一つです。)
「武士が本来あるべき姿」を自分たちに体現させ、「武士の本来あるべきではない姿」である将軍家、その手先・象徴ともいえる吉良を断罪しよう! という実に高邁なものに「仇討」の意味を見出しているのです!
このことを如実に示すのが、第12回「赤穂城の落日」の以下のシーンです。これは殉死追い腹を決意した赤穂藩士に向かって、三船敏郎扮する大石内蔵助が言い放つものです。
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一つ、お城無事明け渡しのこと
(一同:えぇ?)
一つ、我ら穏やかに赤穂退散のこと
(一同:えぇ?)
一つ、吉良上野介殿のみしるし頂戴のこと
(一同:おぉ~!)
断っておく。たかが吉良殿のやせ首ひとつ、さほど欲するわけではない。
御公儀の武家の掟を違えた片手落ちのご裁決に対する謀反の意味だ!
そのためにのみ吉良殿を切る!
我ら六十四名の命に代えて、武士たるものの怒りを将軍家に力一杯叩きつけてくれる!
これが我らのなすべきこと、我らの死に様だ、どうだ!
(一同:泣く)
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という何と素晴らしいシーンではないですか!
「武士たるものの怒りを将軍家に力一杯叩きつけてくれる!」とは、身震いするぐらい、感動しますね!
画面の前の私も一同と同様に涙ぐんでしまいます。男ならこうありたい!と思う瞬間ですね。
これがまさに単なる主君の仇討から、不当な権力に対する異議申し立てへとの質的転換が起こり、仇討に「高邁な意味」が付与された瞬間なのでした!
「大忠臣蔵」では、そもそも吉良が浅野内匠頭をいじめた理由として、自分の領地で産出される塩よりも赤穂の塩のほうが質が高く、その製法を当時の権力者であった御側用人の柳沢出羽守に取り入って不当に入手しようとしたと設定されています。(ちなみに、柳沢出羽守役の神山繁氏も素晴らしい演技です!)
この作品は1971年、終戦後からわずか26年であり、三船敏郎含めて、俳優、監督、脚本その他の方々も、おそらくは戦争を体験した世代で、単なる能天気な平和主義の時代とは違ったリアリティといいましょうか、死生観というものが反映されているような気がします。
昭和という時代の評価はあまり高くないのですが、安直ではありますが、おそらくその分岐点は、「戦争を経験した世代」と「戦争を経験していない世代」に分かれるのではないかと。後者については、「日米安保反対」と叫びながらも、別にそのアメリカに殺されたわけでもなく、むしろ戦後アメリカに「守ってもらっているのに、安全地帯から異議申し立てした」という欺瞞的な立ち位置が大いに問題ではないかと。その欺瞞的な方々が1980年代以降に実権を握った日本がどうだったか……
話が脇にずれましたが、「仕事の意味とは」ということを考えると、つい「大忠臣蔵」のこのシーンが思い浮かんだということでした。
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